溢れ出るので書いときます。

私の世界の話です。

去年は振り返ることも出来なかった気がするから。

 

 

2011/3/11

東日本大震災の日。

あの震災が起こる日まで私にとってもこの日は

「おかもとひろみワンマンライブのO.A.出演」

「2ndDEMO ちいさな世界レコ発」の日でした。

あの震災が起こるまでは。

 

あの日から私は、

初めて音楽を私から切り離した。

それは、今までの私自身を否定することでもありました。

 

電話越しに聴こえる母親の悲痛な声

弟の死にたくないという純粋故の言葉

父親の無言の訴え

ばあちゃんの複雑な心境

友達の葛藤、現実。

ニュースで映るいわきの現状、東北の人々の声、増えていく死亡者数。

言葉も無力だった。言葉にしてはいけないけれど電話しかできない現実は、私の無力を無力以下にもした。

あの日ライブ中止が決定し、みんなでライブハウスを後にして、動き出した電車で友達の家に泊まり、不安ながらバイバイをして

手元に残ったのはCD100枚とギターだけだった。

私は、何をやっているんだろう、しか、その時はなかった。

 

自宅への電車も復活せずに友達の家で1週間を過ごした。

どうにか向かった職場では、聴きたくもない震災についてのあれこれが絶え間なく休憩中の話題として耳に入ってきた。

 

私は、長くいた職場を辞めて。

音楽を聴くことも、作ることも、唄うことも、辞めた。

人生で初めてのことだった。

やる意味も、やりたい意欲も、気持ちも、何もなかったんだと想う。

世界が反転した?

1度も泣かなかった気がする。

思考が、完全に切り離されていて、ゲームばかりやって気を紛らわせていた。何かに依存していないとどうにかなってしまいそうだった。

 

そして、そこから、今までの私というもの全てを

否定しなければならない現実に、私にとって、間違いだったんだと認めざるを得ない現実に、向き合えずに、ずっとずっと、うずくまっていたような日々だった。

と、今振り返って想う。

 

想えば、生活をマイナスにして、

必死に音楽にしがみついて、311に向けてバンド練に入ったり、CDを作ったりしていた。

そこには、喜びは、無かった。今想えば。

必死だったことは覚えているけれど、喜びは、無かった。

ただの意地だった。

でもそうしないと、転がり落ちてしまいそうで、必死にしがみつくことが最後の抵抗だったんだな、と想う。

そんなに苦しいならやんなきゃいいのに、と何度も言われて素通りしてきたけれど、

今の私は言う。

そんなに苦しいならやんなきゃいいのに。ね。

 

自分を否定し続けて得たものなんて何もなかったとは想うけれど。

もっと楽に生きよう、もっとゆっくりやろう、私のペースで、答えを焦って出す必要はない、と

あの時から少しずつ、ソレを意識するようになったのかな。

今も何も変わっちゃいないけど、そこばっかりは。

 

自分を満たす生活に変えた。

音楽のことは置いておいた。

初めて、私と音楽の距離が近すぎたことに気付いて、

私にとって大切なもの、の尺度が、まったく別の定規だったことに気付いてしまった。

元々同じ定規じゃなかった。それにすら気付いていなかった。

唖然としながら、安緒する自分もいた。

 

ヨチヨチ歩きながら、少しだけ唄った。

ふるさとのひかり、と、こころのままに、が出来た。

それでも部屋で一人で唄っているだけで、十分だった。

 

色んな人がそんな私を見守ってくれていた。

色んな人と出逢い、少しずつ、私の足元を見つめて、その時に必要なものをくれた。

どれもそれは暖かくて、心が動くものばかりだった。

その時くらいから、行きたい場所に、逢いたい人に、無理をしないで、自分を偽らずに動こうと、無意識にそういう場所に身を置くように、なった、かな?

 

 

今も、震災に対しての私の考えだとかは、何も定まっていない。

2年が経って、私自身の中で風化していることも随分ある。

思い出さなくなったこと、引きずらなくなったこともある。

良いも悪いも、無いことも分かるけど、

私の中では、あぁ私って薄情だな、と感じることも多い。

どこか周りの目を気にして、震災について何も言えないことも多い。

 

4月~7月あたりの記憶がほとんどない。

確か新しい職場で馬鹿みたいに働いてた。

そんで、今まで自分にしてやれなかったことを意識的にやろうと生活を変えたりしてた。この時減量成功して7.5kg落としてたな。苦笑

 

そこから少しずつ、私も歩いているんだな。

2012年が2011年に溜め込んだものを、解放させる時だったと想う。

動けるだけ動こうと決めて、もう一度音楽に向き合おうと、少し方向を変えた。

そこには、喜びがあるといよりも、苦しみが無かった。

何をするにも、湧いてきた。力が。

色んな場所で、色んな人と、悩みは沢山生まれたけれど、全部血肉となった。苦しみがほんとに無かった。

 

そして、今。

今年の3ヶ月も私の中では結構大きかったんだけど。

今あるのは、喜び。

何故か知らないけど、喜びなんだ。

 

ひとつ、自分の足元を見て、うん、と納得というか。

よし、次の一歩、という気持ち。

先の景色は全く見えないけどね。

でも。苦しみがない、というのと同じ感覚で、真っ暗ではない。

広がった明るい景色なことだけが分かる。

まだぼやけてるけど。

 

私だけじゃない、全ての人、物、にとって

大きな大きな災害なのは言葉にしたくないくらいだけど。

 

私は、自分の心を、無視してないか?

と神様に念を押された。そういう、日だった。

数え切れないくらいの見落としていたものを教えて貰った。

それは今も続き、今も私の頭の後ろで、何度も問いかけられる感覚。

 

私は偽善者でもあるし、言ってることも綺麗事になるんだろうと想う。

机上の空論、なんだろうな、と自分でつくづく想う。

 

だけれど、もう自分を責めることは辞めて。

ただ純粋に、自分を見つめたい。

汚かろうが、ほんとどうしようもない奴だろうが、

素敵な自分もちゃんと見えているから。

抱きしめてやりたい。

 

あの時、そして今も、祈りがあること。

忘れてはいけないこと。忘れられないこと。

日常も、生活も、それ自体が奇跡の連続で。

それをすぐ忘れるのも人間で。当たり前でもある。

でもだから、先人達の残していった言葉がある。

 

私の中の世界の話です。

今も繋がっている道は、私が歩くことで、さらに繋がると

なんとなく、信じています。なんとなくね。

その感覚。それだけ持って唄おうかな。

 

私ひとりだけの気持ちで、唄えていることは、少ない。

大体、そこに手を添えてくれている人達があって、成り立っている今の私。

とんでもなく自覚が足りなくて、おかしいことを想い、考え、結論を出す、それも私。

 

生きてこそ。生きてこそ。

全て、生きて、こそ。