定期的に

物凄い罪悪感に苛まれる時がある。私です。

誰かと何かをやる時や、忙しなく動いていて、色々追いつかなくなってくると特に。

 

でも定期的にだなぁ、と

ここ数日で想っていた。

 

…定期的に罪悪感ってどうゆうことだよ、と

書いていてツッコミそうにもなる。笑

 

 

ただ、その罪悪感を感じた後に

その理由を辿っていけば、やっぱり単純に傷付きたくないからと

自分を守ろうとする力なんだと気付く。

 

で、それに気付くのが少しは早くなったんじゃないかな、と

今日はちょっと自分を褒めた(どんなだ

 

遠慮、も似たような類で、

でも結構根が深かったりするから扱うのが難しい。

 

誰かの為に、なんていうのは

おこがましいと考えているけれど

 

たとえば、自分が自分を大切にすることが

誰かの為になるのであれば、そんなに素敵なことはない。

 

と。前にも書いていた気がする。

 

根を張る罪悪感と、闘い、もし本当の意味で

自分に勝てた時に見える景色はあるんだろうな、と想う。

 

頭も身体も心も繋がっているけれど

 

この手で触れた温度だけは、嘘がないと、信じている。

分からなくなってくる時は、大概触れていない時だと、気付く。

 

やっぱり生きている。

その温度は、温かい。

ここ何年かの私が流した涙も

誰かが流した心の涙も

 

冷たくはなかった。

逆に暖か過ぎて戸惑う程だ。

 

だから、私の周りの環境や、側にいる人達の

その心を、大切にしたいと願う心が産まれる。

 

簡単に大切にできないことを知って、

それならば、

私の心で、感じ続けていくだけなんだ、とふと思った。

 

映すのは、心。

おやすみなさい。