9/30 喫茶はるかとハスタのこと続き

さてさてさて書きましょうか。

 

 

弦巻さんがブインと車を止めた。

「もしかしてそうかな〜と思って〜」と。

(後に、はるかのパパとこのお話をしたら、ここら辺でこの荷物とギター持って歩いてたらワケアリだなあって目につくよ〜との事でした)

弦巻さんはお仕事の車移動中でした。

かくかくしかじか事情を話すと、どうせ近いし送ってくよ、と乗せて頂いた。とにかく有り難かった。

 

弦巻さんはタカヨさんが留守の時にソマの面倒を見に来てくれたりすること等、タカヨさんから少し話を聴いていたから

ソマの先ほどの様子を話したら

弦巻さんも「ソマは繊細だからなあ」と言っていた。

最近何だか大人しい感じが出てきたよねとか、チョコは元気でやんちゃだねえなんてお話してたら、あっちゅうまに喫茶はるかへ。

 

パパもママもびっくりしていたけど、笑顔で迎えて、美味しいケーキを出してくれた。

弦巻さんは、じゃあ戻るねと言ってサクッと帰っていった。

なんか、すごいなあ…と嬉しさを余らせていたら、これまた見覚えのある方が。

喫茶はるか、ポッケでもお会いしていた佐野さんがお茶していた。

 

またかくかくしかじか経緯を話すと、

じゃあこれ使いな、と券を渡された。

はるかのすぐ近くにある銭湯の回数券。

 

タカヨさんの「伊那のゆーがな午前の手引き」には

冒頭に

・みはらしの湯に寄る

 

だった。

 

お風呂に入りたかった私は、これまたとにかく有り難かった。。

佐野さんも、ではまたね、と帰っていった。

 

高速のバス停まで、パパが送ってくよ〜と言ってくれて

ママも時間を見てお風呂に行ってきた方がいいわと色々と配慮してくれた。

荷物を置いて、みはらしの湯へ。

昨日の汗をやっと流して、お土産を買ってはるかへ。

パパはそろそろ行かないとなと言って、車を用意してくれていた。

パパもママも私からのお土産を中々受け取ってはくれなくて、

もう少し気を遣わせずにうまい事お礼を伝えられるようになりたいなあと思った。難しい。恩は巡らせてこそだなとも思って。

 

これからはこういう時があったらいつでも電話すれば行くから連絡してや〜

とパパはお茶目な笑顔で言ってくれた。

 

車中、またソマの話になって、「あの子福島生まれやもんなあ〜」と言っているのを聴いて、ああそうだよなと、当たり前のことを思い出した。

 

弦巻さんに佐野さん、喫茶はるかのパパ、ママ。

本当にありがとうございました。

とても嬉しかったです。

 

タカヨさんに状況を伝えたところ

タカヨさんは

「よかったね^^と言うか思惑通り」と。

長野の人たちの暖かさに、また私は、当たり前のようにそこにある優しさについて考えながら東京へと帰りました。

帰りのインターで見た空。すごかったなあ。

 

 

改めて、長野でお会いした皆さん、ありがとうございました。

またお会いできる日を楽しみにしています。また会えます。

そして話は変わりますが、

弦巻さんの家族、ハスタが、先日息を引き取ったと知りました。

 

私は夏にはるかライブで伊那へ行った際に

一度だけハスタと逢ってお話ができたんだけれど。

瞳がものすごく深くて、いろんなことを見てきて知ってるのかな?と第一印象で思って。

なんだか忘れることが出来ない子でした。

 

昔はカメ帝を守っていたハスタ。

今はソマもタカヨさんもカメ帝を守っているし、ハスタの家族はみんなこの街で、近くで、居るから、安心して休んでね。

一度でも逢えてよかった。

 

ハスタとソマとチョコちゃんと遊んだその日は

まだまだ陽が高く昇る、向日葵が逞しい夏の昼間だったな。

 

ありがとう

 

私は将来ワンコと過ごすのかな

うちは小さい頃から親族代々ワンコが必ず家族に居る

一家に何匹も飼っているから、名前を覚えるのも難しかった

それでもみんなそれぞれに性格があって、いつも暇さえあればお話してたなあ

リッキーとの別れから、あまり想像はできないのだけれど

いつかワンコが家族に増えたらいいなとは思う

 

今も空で、みんな駆け回ってるといいな〜よだれだらけだろうな。

 

 

ではこれにて長野でのすばらしい日々綴りを終わります。

素敵な旅でした。